昭和47年6月11日 特別奉修委員
(途中から)
そうじゃろうが、この御理解を頂いておかげを頂くっちゅうのはその、(?)じゃないわけです。いわゆるその、まあ理屈の上でばっかり。
けれども今日はその理屈の上で、けれどもあの、天地金と、「天地金乃神と申すことは」ということはね、あの、今日のあれでは少し説明が足りなかったんですけれども。教祖金光大神のひとつの別名ですよこれは。天地金乃神というのは。天地、天地神と同根と仰るね。だから、だからあの「金」の字を使ちゃある。天地の中に入ってあるわけですから。天地金乃神と。
だからあの、天地、天地金乃神ということは、と申すことはということは、あの、「金光大神はこの事を伝えることの為に」という意味なんですねですから。ハッキリしてくるでしょうそうしたら。だからどういうわけで「天地金乃神と申すことは」などと一番始めからね、あの、こう言うなら、名乗りを上げておられるような感じでしょうが。
それを感じて、なら申すことは、天地金乃神と申すことは、こういう人だ、ということじゃないでしょうが。最後が。「天地の間に氏子あっておかげを知らず」のようなことになってる。何の為に「天地金乃神と申すことは」というふうに言うておられるかというと、天地金乃神と申すことはあの、もう天地と同じという意味でね、だから、そこをだから生神金光大神と申すことは、生神金光大神は、こういうたいへんなことを取次がせて頂き、こういうことを皆に教える為にあるんだ、という意味なんです。ね、御理解第三節、そこんとこがね、今またその事をお気付け頂いたから、皆さんに聞いて頂くんですけれども。
天地金乃神ということはもう、金光大神の別名。それでいての金光大神というのは、どこまでも生神金光大神。けれども、同根ということになってくると、天地金乃神と申し上げると、天地の神様も入ってござりゃ、金光大神も一緒だということになるわけです。
こらほんとうにあの、今一生懸命あの、その教学の、何十年がかりで勉強がありよりますけれどね、ほんとに御神意を頂かなければ、教祖金光大神のあの、お心やら、天地金乃神様の思いやらっちゅうのは、ほんとは分からないと思うですね。
そして、なら、昨日、先日も今度も学院生達が言っていましたように、「残念ながら、まあだ金光教は、仏教とかキリスト教までに、まだ至っていない」というような、「未完成の宗教だ」といったようなふうにねあの、教えるそうですよね。学院で。
ですから、ほんと言うなら、なるほど、その未完成ということは、合楽的なその、表現を加えると、だから完成ということになるわけなんですね。金光教の。だから、今までの教団のとこからでは、なるほど未完成なもので、とてもならその、教典とか、キリスト教ならバイブルあたりの説明とは、まあ段が違うほど、まあ金光教のは説明不足ということなんですけれども。
合楽の、例えば二十何年間のこれを加えたら、なるほどバイブル以上のことになるでしょうし。あの、お釈迦様の説き得ていなかったとこが説き得る、ということになってくるわけ。
まああの、今日はこうして「金光教合楽教会在籍、教徒山田静男、金光教教師に任ずる」と。じゃぁこれはまあ、教師としてのお許しを頂いたわけで、いわゆる補命を受けた。ということをね、ということを、昨日のお月次祭に、真ん中にお供えがあっとるでしょうが。ワラで包んだ。あれが「ホメイ酒」なんですよ。
今日は、これまた( ? )そしたら、あの事を頂く。だからまあ、神様は一足先にね、あの補命のことをあの、ああいうふうな形で教えて下さる。何かそういう働きっていうのは、ずーっとあってるという感じがしますね。うん。そのことも今頂きました。はい。
明渡 孝